【あなたの温度】





珍しく夢を見た。


懐かしい、幼い頃の夢。












ようやく一人で歩けるようになった私に、そっと差し伸べられるてのひら。






大きくて暖かくて優しくて。

私はその手に触れたくて、一生懸命歩いていた。


















悲しい程に覚えてる。



今も。



























大好きだった、父さんの手。














* * *














乱れたベッド。


横たえた体が窮屈そうに見えるのは、その体の大きさ故だろう。






殆どクセの様に、その体は背を天井に向け小さい呼吸を繰り返す。

眠る時は確かに掛かっていた筈の毛布も、何度か寝返りを打つうちにすっかり端の方に追いやられてしまっている。







(風邪引くぞ)






部屋の掃除にと寝室にやってきた紀代子は、目の前の惨状に呆れながらため息を付いた。


起こさない様に静かに傍に寄ると、追いやられていた毛布を手に取る。







毛布をそっと掛け直しながら、ふと思う。








(…風邪なんて、引くのかしら?)












小さい子供を叱りに来た母親の様な心境から一転、冷静に考え直して少しおかしくなった。


そう思いながらも、大きい体を包み込むと、なんだか妙な満足感が生まれる。























(…へんなの)





そんな言葉が脳裏をよぎって、そのままベッドに腰を下ろす。


きしり、と小さな音が立ったものの、ベッドの住人は目を覚ます様子もなく、規則正しい寝息は途切れない。





そっと顔色を覗くと、左頬が緑に侵食されている以外は比較的良好で、とりあえず安心する。












恐くて、傷口には触れていない。









一度だけ触れようとした時は、彼に本気で怒られた。


君には毒だから、と悲しそうに言った。













その言葉を聞いた私も、本当に悲しかった。





一体どんな毒が彼を侵食して。

彼を苦しめているのか。













分かりあうには、私達はあまりに違いすぎた。





















傷口には触れないままで、顔に掛かった髪を梳く。






伏せられた長いまつげは優しい色で、その奥にひそむ青い満月を際立たせる。

今すぐにその青を見たいという衝動を静かに押さえ、無造作に投げ出された腕に視線を移した。







大きな体に見合う長い指が、しなやかに伸びている。



初めてその長さに気づいたのは、音の鳴らないピアノの鍵盤に、彼が触れた時だった。

ピアノを弾いている人間からすれば、羨ましい程恵まれた指。








しかし肝心の本人は、自分ではちっとも弾く気がなくて、私なんかの演奏を嬉しそうに聴いてくれる。









(…へんなの)




















ホントは演奏なんて聴いてないんじゃない?



何度もそんな照れ隠しを口にしようとしたけど、結局は言わなかった。








嬉しい気持ちに嘘ついても、空しいだけだから。





















無意識にその指と自分の指を重ね合わせる。



私より体温の低い彼の指は、一瞬無機質にも感じるけれど。

それでも、ここからしか感じる事のできない温もりが恋しかった。








(そういえば)












父さんの指も、こんなだった気がする。


確かに暖かくて好きだったけど。











それだけじゃなくて。



その指から、手から伝わる優しさが、私はとても好きだった。


















「…とうさん…」











呼吸と同じくらいの静かさで、吐き出すようにして呼んだ、私の大好きだった人。


でも、ここには居ない。







何処にも居ない。




















私の大好きだった、とうさんはもう。




























「…紀代…」











突然の呼び掛けに、はっとして振り向く。










長いまつげの下から、うっすらと覗く青い瞳。


重ねていただけの手は、しっかりと握りしめられていた。












「ごめんなさ…。起こしちゃった?」






彼の手を見ながらとうさんの事を思い出していたとは言えなくて、すぐに手を引こうとしたが離してくれない。


あからさまな態度に気を悪くしていないだろうかと、瞬間表情を伺うが、彼は気にとめる風でもなく、ただ離さなかった私の手をじっと見ていた。












姑くの間そうやって眺めていたが、やがて疲れたのか重々しく瞼をふせるとそのままで口を開いた。




















「君の手…、優しいね…」














どくんと心臓が脈打つ音が脳まで響いて、全身にその反動が伝わる。


指は確かに震えた筈なのに、その手を握りしめた彼は気に止める様子もない。




























「もう少しだけ…、感じさせて」











申し訳なさそうに呟くと、手に入れていた力を幾分か緩めて、指と指を絡ませる。


そうする事で安心したのか、彼は再び小さい寝息を紡ぎ始めた。

















跳ね上がった私の脈動は、少しも収まる気配がない。




あんな言葉、好き勝手に言うだけ言って、さっさと眠りに落ちた彼を少しだけ憎んだ。















でもそれ以上に、嬉しくて泣きそうな自分も居た。








幼かったあの日の私が感じていた様に。


同じぬくもりを、貴方が私から感じてくれていた事が嬉しかった。
















眠ってしまった彼の手から、逃れてしまうのは簡単な事だったけど。




何だか名残り惜しくて、もう少しだけこうしていようと思った。




















優しいてのひら。








あの日のぬくもりを忘れられない様に。



















きっと、この手のぬくもりも、ずっと忘れる事はないのだろう。























いつか貴方と別れる日が来ても。







私は貴方を忘れない。


































きっと。















end...    
--------------------------------------------------------------------------------------------------------------

動きの無い中でどれだけ表現することが可能なのか。というのに挑戦してみた作品です
なかなか難しいテーマでしたが、書いていて楽しかったです
キヨはノウェと父親を重ねてた所もあるんじゃないのかなぁとか、勝手に想像しながら書いてみました

--------------------------------------------------------------------------------------------------------------
<TEXT>