| >>デラシネ.13 |
居座る事を決めたからと言って、特に何をするでもなかった。 しようにも、体の自由が利かないのだ。 数日は、寝て覚めてをただ繰り返した。 たまに傷が痛んでうなされて目が覚める事もあったが、側にはいつも彼女がいてくれて、充分満たされていた。 ここは、居心地が良かった。 やがて時間が傷を癒し、なんとか歩ける様になるまで回復する。 そのころから、彼女の表情に陰りが見え隠れし始めた事に、やんわりと気付いていた。 「ちょっと、出掛けてくる。」 居ない内に出て行ってくれて構わない。 そう、冷たく言い捨てて出掛けて行ったのは、自分がこの部屋に来てから初めての事だった。 今更冷たく言われたからといって、既に力のいくらかが回復しているノウェムにとっては、ただの強がりの虚勢である事は充分承知していた。 (しかし。) と思う。 (いい、機会なのかもしれない。) ああやって冷たく切り捨てようとするのも、彼女の癖みたいなものだ。 傷つく前に、自分から手放そうという、一つの保身。 初めて会った時から、そうだった。 出ていってもいい、なんて、本当は思っていないのに。 けれど、彼女も僕も知っていた。 今という時間が永遠では無いこと。 いずれ、僕は先生の元へ帰らなければならない。 それが今日なのか、一週間後なのか、もっと後なのか、それは分からないけれど。 ならば、本当に傷つけてしまう前に、身を引くのもいいかもしれない。 (ここは、居心地がよすぎて。困る。) 離れがたい気持ちが、どうしても拭えなくて。 きっかけが、欲しかった。 (ほんとうに、彼女は大丈夫なんだろうか。) 何処へ行くとも告げずに出掛けた紀世子。 そういえば、たまに弟と会うと言っていた。それだろうか。 (彼女に、帰る場所があるのなら、僕はもういらない。) ずる、と足を引きずりながら外へ出るノウェム。 久しぶりに出た外は、穏やかな天気で心地よかった。俯いたまま、頬に当たる風を感じる。 やがて意を決したように顔を上げると、紀世子の気配を探った。 (その場所があるなら、戻ろう。) ただ、本当にそうなのか。この目で確認してからにしよう。 そう思い紀世子の気配を見つけたノウェムは、足を引きずりながらゆっくりと、歩き始めた。 住宅地から僅かに外れた郊外。 建物の瓦礫が拡がる視界の中で、奇跡的に残っているピアノ。 今住んでいるマンションから、さほど離れていない場所にあった事を知ったのは、ほんの一ヶ月くらい前だろうか。 首に掛けている音叉を拾った、思い出の場所だった。 あの日の事を思い出して、ふ、と薄く笑う紀世子。 (何も変わってない。私。) あの時も、意地を張って逃げ出した。 今日だって。 (あの人も、何も変わっていないのに。) 初めて会った時から、優しくて。 (でも、あの人が好きなのは父さんなの。) 初めて会った時から、そうだった。 そう思うと無性に悲しくなって、振り切るようにピアノの調律を始めた。 音を奏でる事のないピアノ。 自分に似ていた。 優しい音を奏でたくても、寂しさで弦が朽ちてしまっている私。 この音があの人にも届いたら。少しは私の事を想ってくれるだろうか。 「ピアノ、生き返ったね。」 不意をつくその言葉に、思わず振り返る。 ようやく紀世子に追いついたノウェムが、そこに立っていた。 足を引きずりながらゆっくりとこちらへ来る。 「君の心で、鳴ってた。」 「聞こえたの?」 「続けて。」 言われるままに鍵盤を押す。 すると、そのピアノが奏でるはずだった旋律を、ノウェムが口ずさんで見せた。 ほら、聞こえてるでしょう。とでも言いたげに。 (…なに…?) どきどきしながら、ふと、何かが溶け出す様な感覚に襲われていた。 それはとても穏やかに。 「いつもここに来てるの?」 「…ひと月ほど前から。」 そうやって、ピアノの事について話し始める紀世子。 その話し方が、やわらかくなっている事に気づくノウェム。 あたたかい何かが、彼女の中から伝わって来て、くすぐったい。 何より、ピアノの事について語る彼女は、どこか楽しそうで。 「やさしく弾けば、やさしい音を奏でてくれる。」 「今はどんな音?」 既に、紀世子のココロから溶け出すような、優しい音が聞こえている。 それでも敢えて聞いたのは、今幸せだという言葉が、欲しかったから。 (だって、こんな所に一人でなんて。) てっきり、弟と会うのだと思っていたので、内心驚いていたのだ。 心の拠り所が、今は音の鳴らないピアノだなんて。 そんなのは寂しすぎる。 突如として吹き付ける激しい風。 ノウェムがとっさに盾になったものの、目の中に違和感を感じて紀世子は目をこする。 その直後には雨。先程まで、いい天気だったというのに。 何処か雨をしのげる所をと思案していたら、紀世子の方から腕を掴み、こっち。とノウェムを連れて走り出した。 * * * 辿り着いた先は、見覚えのある古びた洋館。 (まだ、残っていたのか。) そんな事を考えながら、紀世子に連れられ中へと入る。 彼女がしきりに目をこすっているのが気になった。 「痛む?」 紀世子は黙ったまま。 「こすらない方がいい。」 そう言っても、紀世子は目をこするのをやめなかった。 「ここ。初めて会った場所ね。」 「うん。」 話題を変える紀世子。 ここへ連れてきたのは、わざと。 それを悟られたくなくて、目を合わせなくても済むように鏡を見つめる。 ゴミが入ったのは、視線をそらすのに都合が良かった。 目を合わせれば瞳から、何もかもが伝わってしまいそうで。 思い出を振り返る内に、気づけばトゥランガリラの話になっていた。 「君たちは、生まれ変わりつつあるんだ。」 誇らしげに語る彼。 「それで少しはましな世界が作れるっていうの?」 こういう話は、キライだった。 「今よりずっと素敵な世界がね。」 彼が嬉々として、父さんの話をするから。 「父さんの世迷い事なんて沢山!」 父さんの話を聞くのが、嫌だったんじゃない。 彼が、嬉しそうに話すのが辛かった。 (だって、思い知る。) 彼の頭の中は、父さん中心。 今、こうして傍に居るのだって、私が父さんの娘だから。 (そんなこと、分かってるのに。) 「新しい人類ってのも、きっと馬鹿よ。」 私は、父さんの娘だもの。それくらい分かる。 「父さんがやろうとしている事だもの。出来損ないに決まってる。」 自分を見ていれば、分かる。 (…ホント、馬鹿。) 勝手に期待して、裏切られたからって傷ついて。 それで今度は怖くなって、アナタを拒絶するの。 いつもそれのくり返し。 泣きそうになって、目を強くこすった。 そんな紀世子の態度を見て、話を切るノウェム。 (お父さんの話は、キライだったね。) そういえば以前も、父親の話をした途端、態度が変わった事を思い出した。 いつだって、君を怒らせたい訳じゃないのに。 仲間とは、言葉などなくてもデュナミスで通じ合えるけれど、今はそれに頼りすぎていたことを後悔した。 自分が抱いている、この複雑な感情を、彼女に伝える術を今は持っていない。 出来る事といえば、彼女を心から慈しむ事くらいで。 「目、こすっちゃ駄目だよ。」 そう言って、彼女に近付く。 しかし、何度言ってもこする事をやめない紀世子。 しょうがない、と思って紀世子の肩を掴んでゆっくりとこちらに向かせると、そのまま瞳に口づけた。 (…!?) ノウェムの突然の行動に、一瞬頭の中が真っ白になる。 ただのキスではない。 ざらりとしたものが、眼球の中を蠢いているのが分かる。 慌てて離れようと、身動きした途端、一層強く肩を掴まれてしまう。 それでも何とか離れようと試みるものの、彼にとっては些細な抵抗の様で、びくともしない。 (…。) 優しく舐めてくれているのが、眼球から伝わる感触で分かる。 (…そんな事したら…。) それがだんだんと、心地よくなってきて。 (…自惚れるわよ…?) ゆっくりと体の力を、抜いた。 (私の事、好きなんじゃないか。…って。) 「とれた。」 暫くして、瞳から唇を離すと、取り出した異物を舌から出す。 これで大丈夫。と、大きな瞳をぱちぱちさせている紀世子から、離れようとした。 (?) 引っ張られる様な形になって、動きを止めるノウェム。 俯いたままの彼女が、服を掴んで、離れる事を拒んだ。 「どうしてそんなに優しくできるの。」 俯いたままの彼女は、かすかに震えていて。 「私がエンキドゥの娘だから?」 「いや。」 短く、しかしはっきりと否定するノウェム。 (初めは、そうだったけれど。) 最初は、先生から言われた『仕事』として、紀世子を愛するように努力していた。 けれど、オクトを失って、その『仕事』自体を憎むようになり、結果『仕事』から逃げる事を選んだ。 でもだからこそ、今ここにいるのは自分の意志。 「本当に?」 「ああ。」 再度、不安そうに問う彼女。 何を思っているのか知りたくても、ココロの音が、複雑すぎて分からない。 「さっき、聞いたでしょ。ピアノはどんな音かって。小さい頃から、ピアノに逃げてた。あまりに現実が酷かったから。」 悲しそうな君。 「あのピアノの下で雨宿りして、ここに逃げ込んで。あなたに会った。」 どんな答えなら、君は笑ってくれるのだろうか。 どんな風に接したら、君は癒されるのだろうか。 (僕は、聞いてあげる事しか出来ない。) 言葉にしたら、また君を傷つけてしまうかも、しれないから。 「この現実から救い出してくれるんじゃないかって、そう思った。あの時は本当にそう思ったんだから。」 (でも、これだけは、分かって欲しい。) しがみついて、泣きついて。必死に訴える彼女。 この孤独から解放して欲しい、と。 (僕は君を、守りたいだけなんだ。) 人間から、悪魔から、孤独から。 君に害なす物全てが、僕の敵。 (お願いだから。) 君が寂しいのなら。 (泣かないで?) 僕が慰めてあげるから。 愛しさを込めて。 慈しみのキスを。君に。 |
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