| >>デラシネ.16.5 |
「おかえり。色々と、ご苦労だったね。」 そういって、真っ白な空間でたたずんている先生。 いつもの様に、表情は穏やかで優しかった。 ここは白すぎて、正直あまり居心地のいい空間ではないと、いつも思う。 「…ご心配を、お掛けしました。」 「心配なんか、していないよ。」 その返答の早さに、少し驚いて目を見開く。 「何処にいたのか、ちゃあんと知っていたからね。」 驚いたまま黙っていると、先生は更に言葉を付け足した。 「…何故。」 先生に聞きたい事は、山の様にあった。 未だ事の全てを把握出来ずに、混乱している頭の中を整理して、冷静に問う。 「何故、知っていたのなら。もっと早く、迎えに来て頂けなかったのですか。」 全ての疑問の、根本。 傷を負っていたのだから、もっと早くて然るべきだと、普通は思う。 何故、今まで迎えに来て貰えなかったのか。 必ず理由があると思った。 そう。彼女の傍にいなければならなかった、その訳が。 「…君には、お礼を言わなければならない。」 「?」 突然そう切り出してきた先生に、どう返していいのか分からず困惑する。 質問の返答にしては、明らかに話がすり変わっていた。 「娘を。紀世子を、愛してくれたね?」 先生のその言葉に、どくん。と一度だけ心臓が大きく鳴った。 「…。」 何故なのかは、自分でもよく分からなかったけれど。 「これで、終末は完全なものになる。君のおかげだ。」 「…仰っている意味が、よく分からないのですが。」 そんな事を聞きたいのではない、と遠回しに返す。 優しい言葉を掛けて欲しいのではなくて、事実を知りたいのだと。 「君には、話していなかったね。」 真剣な表情で聞いたからだろうか。 先生は寂しそうにため息を一つ落とすと、ゆっくりと話し始めた。 「何故、娘を愛して欲しいとお願いしたのか。」 「…はい。」 事の確信。 微かに震える身体を、強引に力で押さえつけた。 「君は、何も知らなかっただろうけど、人とギルガメッシュが交わるという事は、神の行為に等しい。」 そんな、事は。 初めて聞く。 イヤな予感が、した。 「紀世子は、君の持つ『神の遺伝子』を受け継ぐ『器』として、選ばれていた。」 ようやく知らされる事実に、ただ目眩を覚える。 あまりにも、果てしない思惑の全貌。 真実を理解する事に、勇気を必要とした。 「『神の遺伝子』は紀世子を母胎とし、紀世子自身が新しい世界の最初の人類として、生まれ変わる事となる。」 (…?) 「そう、定められていた。」 (いま、なんて) 「…仰っている事が、よく、分からないのですが。」 先生の言葉の中にあった、ある一言に引っかかって、話に割って入る。 「この事実を君に伝えなかったのには、訳があってね。」 その言葉を聞いた先生は、更に事の詳細を話し始める。 「私は、新しい世界に生まれる最初の人間は、愛されて生まれるべきだと、考えていた。」 言いながら、天を、仰ぐ。 世界を憂う時の、先生の癖だった。 「望まれもせず生まれる生命が、素晴らしい人間になるとは、思えなくてね。」 空を見つめたままの顔が、微笑んでいるのが声色で分かる。 「だから君には。心から紀世子を愛して欲しかった。」 ゆっくりと空から視線をこちらへ戻す。 「あえて強要しなかったのも、その為だ。」 穏やかに笑うと、更に続けた。 「でも、君は紀世子に愛を持って交わり、その『神の遺伝子』を紀世子に与えてくれた。」 先生の紡ぐ言葉のひとつひとつが、全ての疑問をかき消していく。 「これで、新しい世界に必要なものは、全て揃った。」 全ては、世界の浄化の為に。 「本当に、ご苦労だったね。」 必要だった事なのだと。 今になって、ようやく。理解した。 「だから…。『仕事』が終わったから、今頃になって迎えに来たのですね。」 全ては先生の意図した事で。 自分に判断する余地など、何処にも無かったのだ。 最初から。 「そうだよ。あれ以上、紀世子の傍にいる必要はない。」 本来ならば、喜ぶべき事だ。 先生の役に立つ事が出来たのだから。 しかもそれが、世界の浄化に関わる重要な事だったのだとしたら、尚更に。 (でも。) 割り切れない想いが既に、自分の中で芽生えていた。 「先生。僕は、そんな事を知りたい訳では無いんです。」 「では何を知りたい?」 言われて、一瞬躊躇する。 本当に、聞きたいこと。 でも、その言葉を口にする事すら、恐ろしくて。 「『生まれ変わる』って。どういう事ですか?」 言った声が既に、動揺の色を隠し切れず上擦ってしまう。 「…言ったよね。『神の遺伝子』を受け継いで、新しい人類に。」 「…『生まれ変わる』という事は…。」 更に追求する。 もうこれ以上、知ってしまうのは。 本当に恐ろしかったけれど。 自分のした事を全て、知らなければ、ならなかった。 「彼女は、死ぬんですか。」 その言葉に、悲しそうな表情をする、先生。 それだけで、充分な答えだった。 「それは、生まれ変わる為の、一つの通過点に過ぎない。」 「では、死ぬんですね。」 再度、同じ質問を。 「…結果から言うと、そうなるね。」 …ああ。 最悪の、結果だった。 意識が遠くなって、今にも倒れてしまいそうなのを、必死で堪えた。 「僕が、殺した。」 たった一つの、事実。 世界の浄化の為とか、そういうものは自分の中で、一切理由にならなかった。 「それは違う。君が与えたのは、新たなる命。今の命は進化の為の代価に過ぎない。」 いくら先生が僕の為に、救いの言葉をくれようとも。 「でも、彼女という人間は、いなくなる。」 その、たったひとつの事実は変わらなかった。 「どこにも。」 僕の中では。 「それは、死んだと同じ事。」 それだけが、事実。 身体の震えが止まらない。 犯した罪の残酷さに、ただ凍えていた。 何よりも、その結果を望んでいなかったのは、僕だったはずなのに。 「…まだ知らない様だから、教えておくけど。」 先生の声に、はっとして顔を見る。 「既に、紀世子は『進化』し始めている。」 その表情が、優しくて尚更辛かった。 言われる事が、容易に想像できて。 もはや、何の希望も抱けなかった。 「君の言い方を借りれば、『死んで』しまったよ。」 無性に。 彼女に会いたくなった。 もう会えないと分かってから、こんな気持ちになるなんて。 思い知るなんて。 「忘れないで欲しい。君の行った事は決して罪などではない。」 先生の言葉も、殆ど耳に届かない。 考えているのは、ただひたすらに彼女の事だけ。 「君が心を痛めてくれている事、本当に感謝する。そこまで、紀世子を愛してくれた事を…感謝する。」 感謝? 何に? 僕はただ彼女を独占したいという、欲望に蝕まれているだけ。 美しい事など何処にもない。 「それから、もう紀世子を捜してはいけないよ。」 慟哭する心が、激しく感情を揺さぶって苦しい。 それを抑えるのに必死だった。 「進化の途中の姿は…、君にとっては少し、残酷だからね。」 ひたすらに後悔する。 何も考えなければ。 先生の言われた通りの事だけをしていれば、こんな思いをしなくても良かったのに。 自分で勝手に判断したから、こんな事になってしまったのだ。 まるで遙か昔、神の信頼を裏切り、楽園を追い出された愚かな人間の様。 自分の中にある、ヒトの遺伝子を憎んだ。 「これ以上、君を傷つけるのは、本意ではない。」 優しい声も、労りの言葉も、何も聞こえない。 心に届かない。 理解しているのはたった一つの事実だけ。 「だから今は。何もかも忘れて、お休みなさい。」 彼女が何処にもいない。 ただ、それだけ。 |
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